海老原宏美さんのあゆみ

1977年4月5日

 

 

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12月24日

 

2022年

 

高津中央病院で誕生。父・昭朗、母・けえ子、兄・隆順(2才)。

1歳半で「ウェルドニッヒ・ホフマン病で3歳までの命」と診断される。

 

母が新聞で見つけた無認可の共同保育所「なごみ園」へ。

 

弟・秀昭、誕生。

 

川崎市立向丘小学校の普通学級に入学。

 

小学校卒業。川崎市立平中学校入学、美術部に入部。

 

神奈川県立生田高校入学、グリークラブ所属。送迎が必要になり「宏美を支える会」を結成。

本人や家族の考えを伝える冊子「すまいる」を発行(2010年まで延べ50号)。

兵庫県西宮市で行われた障害者甲子園に参加。人生で初めて電車に乗って、大阪へひとり旅。

参加者代表として挨拶。

 

生田高校卒業。浪人生となり、予備校通い。合唱団「コール・キリエ」に所属。

 

東洋英和女学院大学人間科学部人間科学科入学(臨床心理学専攻)、英語クラブ(ESS)所属。

実家を出てアパートで生活を始める(平日はアパート、土日は実家)。

「EVER GREEN」を結成し学生ボランティアに介助を依頼。

 

短期語学研修のためスタンフォード大学へ1ヶ月半留学。

 

就職活動に取り組み、3社を受験するもすべて不合格。

 

釜山からソウルまでの500km を1 ヶ月間野宿旅する「韓国トライ」に参加。

東大和市へ転入しNPO法人自立生活センター東大和職員に。

障害者の地域生活に関わる権利擁護・相談支援活動等を始める。

 

呼吸器導入のため入院。24 時間酸素吸入と夜間の呼吸器使用となる。

 

母の著作『泣いて、笑って、ありがとう』(碧天舎)刊行。

 

パキスタンの当事者団体「マイルストーン」を訪問。

 

障害者自立支援法反対運動に尽力。韓国、ハワイのCILを訪問。

 

SMA家族の会成人部設立、東大和障害福祉ネットワーク代表に。

 

オカメインコの「ぽぴー」が家族に。「韓国トライ」に参加。

 

自立生活センター東大和・理事長に。

 

東大和市地域自立支援協議会会長に。

呼ネット~人工呼吸器ユーザー自らの声で~設立、副代表に。

障害が重度化し日中も呼吸器導入。

 

社会福祉士に合格、トルコ旅行へ。

 

アメリカADAツアーへ。映画『風は生きよという』の全国行脚で各地へ講演に。

著書『まぁ、空気でも吸って』(現代書館)刊行。戦後70 年特集でNHKハートネットTVに出演。

東京都自立支援協議会副会長に。

 

新潟病院へ入院し胃ろう造設。

 

東京都女性活躍推進大賞を受賞、都知事への手紙が話題に。

東京インクルーシブ教育プロジェクト(TIP)発足、代表に。

 

認定NPO法人DPI日本会議理事に。

 

NPO法人境を越えて理事に。著書『わたしが障害者じゃなくなる日』(旬報社)刊行。

重症心不全で救急搬送。

 

札幌市の北海道医療センターに入院。

 

21時30 分 肺性心により逝去。享年44 歳。

 

著書『まぁ、空気でも吸って』増補新装版刊行。