海老原宏美基金 設立趣意書

 私たちは、海老原宏美さんが抱き続けた「志」を受け継ぐために、基金を立ち上げます。この基金では、多くの賛同者から寄付金を募り、その資金をもとに、海老原さんが求め続けた「社会変革」を志す、個人・団体の活動に助成金を提供します。

 

海老原さんが残した仕事は広く、大きい。

自立生活センター(CIL)・東大和の理事長として町内会の住民から市長までを巻き込んだ地域活動。呼吸器ユーザーのネットワーク化と制度化を求めた「呼ネット」。介助者育成の研修を各地で展開する「境を越えて」。フル・インクルーシブ教育の実現を目指した「東京インクルーシブ教育プロジェクト=TIP」。映画制作やTV・ラジオ出演、本の執筆、SNSでの情報発信など、様々なメディアを通した社会啓発。

「仕事は社会変革」と語ったその姿には、いつも笑顔とユーモアが溢れ、爽やかな風とともに、多くの人を引き寄せ、仲間へと巻き込んで行きました。

 

そうした広範な社会活動の一方で、海老原さんは、日々の生活を丁寧に生きる人でもありました。自分の住む地域が好きになり、自分の暮らしが好きになり、何より自分自身が好きになる――。つまりは、人が「自分」を生きるということ。

こうした誰にとっても自らの生の課題といえるような、シンプルな問いを希求するその先に、すべての人にとっての「平等な社会」が実現することを願った人だったと思います。そして、その願いをまっすぐに表現できる、すこやかな自尊心と、確かな人権感覚を携えた人でした。

 

海老原さんは、「障害」とは、社会が生み出す「生きにくさ」だといいました。その「生きにくさ」を取り払い、「すべての障害者が平等に、あたりまえに享受するはずのもの」として、次の5つを指摘しています(『まぁ、空気でも吸って』3頁)。

 

重度障害者が家族に依存せずに地域で生きられること。

医療的ケアの必要な人が医療従事者の管理下に置かれなくても地域で生きられること。

障害があってもリスクと困難の中に生きがいを見つけられるということ。

人とつながり合うことで広い世界に生きられるということ。

そして、障害のある人も障害のない人とまったく同じ人権をもつということ。

 

 これは海老原さんの人権宣言だといえるでしょう。とりわけ、障害者がリスクと困難の中に生きがいを見出すこと、人とのつながりのなかで広い世界に生きるということ、これらは、人サーフィンやカオス、ごちゃまぜという言葉が好きだった、海老原さんらしい、あざやかな人権感覚に裏打ちされた考えです。

 

たとえば、2002年ごろ、胸の苦しさから人工呼吸器の使用を選択し、はじめて呼吸器を装着したときのことを「身体に酸素が行き渡るって、なんて素敵なことなんだろう」と喜び、呼吸器と生きる覚悟を持った人にしか「この喜びが伝わらないなんて、もったいない!」と感激しました。障害者が経験する葛藤や困難、喜びや悲しみもすべて含めて生きがいとするような、その自己表現が社会を変えていく実践となるような、生き方を貫きました。

こうした生き方は、「自分が障害者であると自覚することから始めないといけない」と述べ、障害者であることの「価値」を自ら受け取ることから、第一歩が始まると語っています。そして、「私の志」として、こう書きます

 

 「障害者、健常者関係なく、個人個人のお互いの価値観を理解し合える可能性を信じて、伝え続けること」、そして「お互いを理解し合えた人たちでどんどんつながって、理解し合える喜びを、また周りに伝えていくこと」が、私の志。そうやってつながっていくことで、人の多様性を認め合い、受け入れ合い、支え合える社会になると信じています(前掲書119‐120頁)。

 

 「社会を信じる」ということ。これも海老原さんが伝え続けた言葉です。海老原さんの志とともに、この社会を変えて行く実践を持続すること。それが海老原宏美基金を設立する目的です。この基金では、おもに次の3つの分野で、志を持って活動する個人・団体に助成金を提供し、これからの「社会変革」に向けた取り組みを応援します。

 

1.若手障害者の育成と自立支援

 海老原さんは、障害者運動はいま停滞のなかにあるという認識を持っていました。その理由は、闘う相手が見えにくく、かつ大きくなりすぎていることにあると指摘しています。一方で、日本の全障害者がちょっとした「運動」を実行すれば、社会は一気に変わるとも述べました。先に見た、重度障害者の介護の問題、呼吸器ユーザーの地域生活、障害のある/なしをこえた人の多様性の理解など、社会は多くの課題を抱えています。そうした社会課題の変革に、志を持って活動し続ける若手障害者を育成・応援します。

 

2.インクルーシブ教育の普及・促進

 多様性を認めあい、支えあう社会の実現は、何よりもまず教育からだと海老原さんは考えていました。どんな障害のある子も、地域の学校に通う権利があります。加えて、幼少期から障害という経験をともに学びあう関係が、人の相互理解を育み、他者とともに生きる力を豊かにします。形式的なインクルーシブ教育システムではなく、障害者権利条約にもとづくインクルーシブ教育を求めて、その普及・促進に取り組む事業を支援します。

 

3.“自分らしさ”を支える介助者の育成

 海老原さんは、日々の介助それ自体が社会を変革する障害者運動であり、介助者は運動に伴走する仲間であると考えました。当事者の主体性を尊重しながら、ときには「支援者としての主体性」を発揮して、ともに課題に向き合い、ともに責任を取りあうような、その人の“自分らしさ”を支える介助者の育成を目指しました。こうした技術や倫理を備えた介助者を育むための研修・啓発等の事業を支援します。

 

 以上の活動を通して、私たちは海老原さんの志とともに、変わって行く社会を信じ、変革のための歩みを進めてまいります。多くのみなさまのご賛同をお願い申し上げます。

 

 

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海老原宏美基金運営委員会